年を重ねて知る魅力出る魅力*Les feuilles mortes - Yves Montand
枯葉よ

風に散る枯葉に
重ねて思い出す
忘却の日
あのlove story

愛している
愛してない
愛している
愛してない
イヴ・モンタン
一世を風靡したフランスの俳優で歌手のイヴ・モンタン
当時、よく映画に出て来るイヴ・モンタンは若いチャーミングな女の子と不倫している中年のおじさん
と言うイメージで、プレイボーイ(死語かな)、
なんて不潔な中年なんだと好きになれなかった
所が年齢を重ねて見ると、
なんて渋くてて洒落ていてセクシーなの!
と、ウットリしちゃうんですよね
もし目の前に現れたら、もうトロトロにトロケちゃうんじゃないかな
男性シャンソン歌手ならアズナブールと思っていましたが
老練というものか
何とも言えないモンタンの魅力に落ちますね
Les feuilles mortes - Yves Montand Autumn Leaves
妻のシモーヌ・シニョレとだと思いますが
君にはどうか思い出して欲しいんだ
ぼくらが恋人同士だった日のことを
あのころは毎日が美しく過ぎ
太陽の光も今より輝いていた
枯葉が風で吹きだまってたのを
ぼくは覚えているよ
枯葉が風に吹かれて舞ってた
思い出も そして後悔も
北風が吹きすさぶ
忘却の冷たい夜に
ぼくは忘れはしない
君の歌ったシャンソン
その歌は ぼくらを歌う
二人の愛の日々を
二人で暮らした日々
愛しあい 愛されあい
でもその愛を時が引き裂く
ゆるやかに 音もたてずに
砂浜についた足跡を
波が消してしまうように
これ、TV番組だと思いますが審査員なのか、座ってるその場で枯葉を歌うのですが
そのイヴ・モンタンの劣化したヨレヨレ感がたまらないってなんでしょ
Las Hojas Muertas (Les Feuilles Mortes) Yves Montand
https://www.youtube.com/watch?v=RzazL9juiK0
昔、TVで淀川さんが紹介する映画は本当に良い映画だった
その番組でも見てたかもしれないし
名画座などで見ることもあった
ヒッチコック作品の「さよならをもう一度」はstoryはほぼ忘れている
強く記憶に残っているのがアンソニー・パーキンスで
イングリッド・バーグマンが出てた事も忘れていた
好きな女優だったのに忘れちゃうものですね
「パリのめぐり逢い」は印象的で
これこそ不倫ドラマ、
若い
(訂正:カメラマンと思って書き直そうとしたらソルボンヌ大学に留学するアメリカ娘と言う設定でした)
されど美しい音楽と美しい映像、
そして雨音のような、奏でるピアノのようなフランス語の響き、
アニー・ジラルドが美しく悲しい
Vivre pour Vivre(パリのめぐり逢い)-Francis Lai
1967年 フランス・イタリア映画 「パリのめぐり逢い」 "Vivre pour Vivre" 1967
監督クロード・ルルーシュ、撮影パトリス・プージェ、
音楽フランシス・レイ
キャスト:アニー・ジラルド、イヴ・モンタン、キャンディス・バーゲン
今、あの頃を振り返って思い出すと、イヴ・モンタンはやはり素敵だったなあと
沁みじみ思う
調べてみました
Wikiより
Yves Montand
1921年10月13日 - 1991年11月9日 イタリア出身 フランスで活躍した俳優・シャンソン歌手。
本名:イーヴォ・リーヴィ(Ivo Livi)
イヴ・モンタンは芸名
子供の頃、戸外にいた彼を母親が階上から、「イーヴォ、モンタ!」(Ivo, monta!, イーヴォ、上がってきなさい!)と
呼んでいたことにちなむという。
農民の子としてイタリアのモンスンマーノ・テルメで誕生。
母は敬虔なカトリック教徒で、父が強固な共産主義支持者であったため、
当時台頭してきたムッソリーニのファシスト政権を嫌い、1923年に家族でフランスに移住した。
マルセイユで育ち、港で働いたり、姉の経営する美容室で働くなどしていたが、
次第にミュージック・ホールで歌うようになる。
1944年にエディット・ピアフに見出され、彼女はモンタンにとって助言者また愛人となり数年続いた。
1945年に映画デビュー。1946年に出演した『夜の門』で、主題歌の「枯葉」を歌ってヒットさせた。
1951年に女優のシモーヌ・シニョレと結婚。いくつかの作品で共演している。
夫婦でフランス共産党の活動に参加していた。
1957年には妻シニョレ同伴で東側諸国全てでコンサート・ツアーを行った。
1961年に米国映画『青い目の蝶々さん』撮影の為に来日している。
1月11日にパンナム機で羽田に到着したのち鎌倉、奈良、京都、などに約2ヶ月間にわたって滞在した。
モンタンの浮気がスキャンダルになったことが何度もあった。
マリリン・モンロー(『恋をしましょう』(1960年)で共演)の時は、シニョレが自殺未遂を起こしている。しかし、
1985年に彼女が亡くなるまで一緒だった。
その後1987年、アシスタントだった38歳年下のキャロル・アミエルと結婚、1988年に唯一の実子ヴァランタンをもうけた。
1991年11月9日、『IP5/愛を探す旅人たち』の撮影直後、心臓発作で倒れ
70才でその生涯を閉じた。
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